私の英語との最初の出会いは、子供の頃の父の転勤先メキシコ・シティでの英国系の学校でした。大学では教育学部の英語英文学科で学び、その後銀行の外国為替課に数年勤務しました。結婚後夫の20年間隔をあけた2度目のニューヨーク転勤に伴い計訳6年間米国に暮らしました。3回の海外生活は、どれも自分の意志からではなく、留学して現地の言葉にどっぷりと浸って生活するといのとは少し違います。子育ての合間の仕事としては、英語の講師や会話教室を持ったり、時には翻訳をしました。海外では英語を使ってのボランティア、国内では英語と拙いスペイン語を使ってのボランティア活動もしてきました。
ガイド試験を受験しようとした動機はとても不純です。義父の介護が終り、空虚な気持ちを何とか埋めようと思っていた時に、折しも届いた卒業した大学の公開講座のカタログを見て、4講座に申し込み、友人を誘い開講記念特別講演会にも出席しました。2002年3月でした。ところが数日後のある眠れない夜、新聞に乗っていた富士アカデミーの「明日、説明会」の広告を見、「これに行こう」と思い、夜が明けるのを待ち、夫に広告を見せると「良さそうじゃない。今日申し込んできたら」と言われ、富士アカデミーの説明会後そう致しました。
翌日大学講座をキャンセルし、富士アカデミーから持ち帰った書類をいろいろと読んでいると、「これから私は受験生になるのだ」という実感が涌いてきました。授業が始まると、どのクラスでも最初に「なぜガイドになりたいのですか?」等、受験動機を聞かれ、その都度答えに困りました。それでも2次試験までには大変立派な答を準備することができました。
週2回コースを1年間とりました。
(1) 入学して初めの2〜3ヶ月したことは漢字の練習です。それは最初の頃の模擬テストで、漢字のミスで5点位引かれたことと、PCを使い始めてから特に漢字が書けなくなっていたことです。小中学校の漢字練習帳をつかいました。
(2) 時事単語は、富士アカデミーの時事単語集がとても楽しく学べ、それにさらに新しいのを追加し2ヶ月半程で覚えました。2003年の一次試験一ヶ月前になって、覚えにくいものだけを 医・食・政・経・社会・教等色別のカードにして楽しみました。
(3) 英和文訳には、何と言っても知念先生が「もぎ立ての」精読用及びショートテストの教材を用意して下さったものが、内容も興味深く、2次対策にも役立つので大変良かったです。又、それらに対する先生の見事な日本語訳は毎回ほれぼれとさせられ、私はその訳の中から何とか法則を見出し学ぼうと努力しました。
(4) 小テストでの和文英訳は、毎回添削して下さり、「使う英語が硬い」とか「現代ではこういう方が一般的」等の指摘も頂け助かりました。それでも英訳は大体できていたので「ああこれでよかったのだ」と自信を持つのにも役立ちました。実際の試験では、2002年7月に落ちましたので、その時の教訓を活かし、2003年7月はどんなに大勢の人がいても圧倒されないことと、何があってもあわてないこと(前年は、問題用紙がそのまま解答用紙と知らず、あるべき解答用紙が自分のところにだけないと勘違いし…まわりの人の書き始めるえんぴつの音がするし…)、「もうここには去年来ているのだから落ち着け!」と自分に言い聞かせたので、余裕を持つことができました。
2次試験対策は、重症のあがり症の克服の為、初めからオプションの2次対策クラスに週二で一年間通いました。
これは(1)緊張した状況に慣れると共に(2)多数の先生の英語に接することができ、(3)使われる教材の社説等タイムリーな社会問題が勉強でき、(4)クラスメートのいろいろな意見と答え方を参考にできるからでした。
富士アカデミーの一次合格後の2次集中特訓は毎回3コマ用意されており、良かったです。1次合格後自分でしたことは、富士アカデミーの2次対策の本や、その他いろいろな本を参考に、自分の言葉で、日本の事象、経済、政治、教育、社会問題、伝統芸能について小さいカードにまとめ、カードを増やすことで、少しずつ恐怖感を減らしていきました。
実際の試験では、朝の第一号の受験者で、試験官の方々の準備ができておらずあわてていらしたので、かえって大変落ち着いて状況を眺めることができ、余裕を持って質問に答えることができました。
3次試験は、受かるはずがないので、一年かけてゆっくりと日本中を旅行しながら、地理と歴史を楽しく勉強しようと思っていたら、2次試験が終わった日に、夫が「これから一ヶ月は家事をしなくていいから今年中に合格して、受験を終わらせてほしい。」と言いました。そんなに試験は苦しいものだったのかと(だれが?)思い、その翌日から一ヶ月一斉の家事をしないで、全ての時間を3次試験対策に捧げました。
富士アカデミーの三次対策クラスにちょっと出ましたが、先生のおしゃっていることは、まさに"It was all
Greek to me"でした。クラスに座っていればどんどん自信をなくすことが分かり3次対策テキストを頂いて帰りました。推薦して頂いた教科書はどれもチンプンカンプンでしたので「日本2000年の歴史」というマンガをフットノートも含めよく読みました。文化史は富士アカデミーのテキストと大学入試の参考書が役立ちました。又、「地図で訪れる歴史の舞台」(帝国書院)は内に籠りがちだった心を楽しく開放するのによかったです。
地理は、富士アカデミーのテキストと白地図の名・国立・公立公園、山川、盆地等を使って覚えました。ここでも私の一番のネックは人名・地名の漢字でした。覚えられないものは、すべてカードにし、ハイライターでの色分けを利用しました。
不思議なことに、3次試験の直前にはTVで放映される地方名や時代劇で使われている言葉等が大体分かるようになり、驚きましたが、まさかこの私が合格できるとは思ってもいませんでした。3次試験内容が少し分かりかけてきたら興味が出てきましたので、これから予定通り本気で一年間日本のことを勉強しようと思っています。
皆それぞれ違いますので、自分は何が強く何に弱いかを把握し、限られた時間で何を克服すべきかをはっきりさせることだと思います。私の場合は、克服すべきは、緊迫状況ですぐ「あがってしまうこと」と、漢字、きれいな日本語訳ができないこと、日本に関しての知識不足、そして3次の内容すべてでした。上記に見合った勉強方法を見出し、富士アカデミーの教材と先生のご指導を最大限利用し、コツコツと前に進めて行くことだと思います。
又、私は老脳にムチを打ち多くを覚えなければなりませんでしたので、受験はできるだけ若いうちがよいと思います。ただ、ガイドという職業には、多少長く生きてきて、経験豊かな味のある年輩も向いているかなとも思っています。
富士アカデミーのフレッシュな教材、知念先生の親身な御指導と励まし、2次対策クラス、多種多様で熱心な学生仲間 等々です。
知念先生、2次対策の先生方、そしてスタッフの皆様に心からお礼を申し上げます。
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