その他目に映る日本的な事象も説明できるようにしましょう。
皇居は、浅草、東京タワー、明治神宮と共に東京観光で必見の場所ですので案内できるようにする必要があります。実際に体験して外国人に説明できるようにしましょう。また、研修の一環として参加者に英語で説明してもらう場合もあります。 会話が不得手な方もあまり心配せずに気軽に参加してください。
2008年1月12日
ウォーキングツアー 皇居・谷根千レポート
鈴木真姫子 通訳案内士
平成19年12月23日午前10時、朝から生憎の雨、気温も低く寒い中、12名の参加者が東京駅丸の内中央口に集まり研修はスタートした。
駅前で皇居の歴史、概略を知念先生がガイドしてくださり、歩き始めた頃には雨もほとんどあがり傘も必要なくなった。丸の内の大きな横断歩道をはさんで丸ビルと新丸ビルが目の前にそびえたっている。その向こうが皇居で、辰巳櫓、二重橋が見える。皇居には現在三つの櫓があるが、かつては21あったそうだ。 たくさんの人々がボディチェック、手荷物検査のために皇居前広場に集まってきている。
簡単な紙でできた日本の旗を配られ、年に二回しか渡る事ができない二重橋に向かう。 石造りでアーチのある手前の橋と奥にある鉄の橋を合わせて二重橋といっているが、江戸時代には堀が深かったため二重構造の木造の橋がかかっており、それで二重橋といったそうだ。
二重橋を渡ると家光の時代京都の伏見城から移築したという伏見櫓が見える。 バルコニーが設けられた長和殿前の広場にはすでにたくさんの人々が手に旗をもって陛下のお出ましを待っていた。外国人の姿も多く、11時5分のお出ましにはみんな一斉に旗を振り写真をとり、天皇陛下万歳と叫ぶ人もいたりで、日本は本当に平和な国だと感じた。
驚いたのは陛下の声がとてもよく通るいい声だったこと。すぐに参賀は終わり、途中かつて最上階から富士山が見えたのでその名があるという富士見櫓を見ながら東京駅へ戻る。 谷中、根津エリア散策のため、山手線で日暮里まで行く。
日暮里駅の改札を出て紅葉坂を登るとそこはもう谷中霊園。数多くの著名人のお墓がある震災や戦災をまぬがれた霊園は近頃できた霊園とは違い区画整理もなく比較的広い面積にのんびりとむかしながらのお墓が建っている。時に大きな碑があったり、突然鳥居が出現したりして、退屈しない。
徳川慶喜のお墓は左手の奥まった一画にあった。葵のご紋がついたりっぱな鉄の扉の向こうに一対の石でできたこんもりしたお墓がある。慶喜は生前仏教から神道に改宗したため、古墳を思わせるお墓の形になったそうだ。また霊園にはかつて浅草寺のものについで東京で2番目に高かった五重塔があったが、燃えてしまったそうだ。心中をはかって放った火で燃え上がったとのこと。その時の写真が跡地に飾られているが、男女の情念のような炎が恐ろしい。霊園を抜けると昔ながらの面影をのこした町並みを散策できる。
谷中は寛永寺の創建に伴って建立されたり、神田付近から移転したりで今では70ものお寺があるという。上野の美術学校に通う学生が多く下宿したこの町はどこかしらアートな雰囲気もある。不忍通りを渡ると根津神社だ。 綱吉が建立したこの神社は根津権現ともいわれるように日光東照宮を思わせる艶やかな佇まいだ。漱石が腰掛けて「我輩は猫である」の構想を練ったという漱石石があった。売り切れ寸前の根津の鯛焼きを食べながら、夕焼けの谷中銀座をぬけて解散となった。